一歩が踏み出せない世界で:決断と実行の壁に直面する日々
立ち止まってしまう、見えない壁
「簡単なことのはずなのに、なぜか体が動かない」「あれこれ考えてしまって、結局何も始められない」――そうした経験は、多くの方が日々の生活の中で一度は感じられたことがあるかもしれません。しかし、その「一歩踏み出せない」という状態が日常的に、そして強く現れることで、社会生活に大きな困難を抱える方々がいらっしゃいます。
ここでは、そうした決断や行動の開始に困難を抱える当事者の方にお話を伺いました。具体的なエピソードを通して、その内側で何が起きているのか、どのような感情と向き合っているのか、そして社会との間にどのような壁を感じているのかを、静かに、しかし率直に語っていただきました。
「どうすればいいのか」が分からない、あるいは多すぎる
例えば、朝起きて、何から手をつければいいのかが分からず、時間がただ過ぎていく。あるいは、冷蔵庫を開けても、何を作ればいいのか、そのために何が必要なのかが瞬時に判断できず、結局何も食べずに一日が終わってしまう。そういった「最初の行動」や「次のステップ」が見えにくい、あるいは選択肢が多すぎてフリーズしてしまう、という経験があるとお話しくださいました。
「周りの人は、迷いなく次々にタスクをこなしているように見えます。簡単なメールの返信一つでも、どういう言葉遣いをすればいいのか、どれくらいの長さがいいのか、いつ返信するべきか……考え始めるとキリがなくなり、結局後回しになってしまいます。そして、気づけば未処理のメールが山積みになっているのです」
この「後回し」は、決して怠けているわけではないと言います。「やりたくないわけではないのです。むしろ、やらなければという焦燥感は常にあります。でも、頭の中で物事を順序立てて考えたり、優先順位をつけたり、ゴールまでの道のりを明確にイメージしたりするのがとても難しい。まるで、目の前に霧がかかっていて、どう進めばいいのかが分からないような感覚なのです」
内なる声との葛藤、周囲からの視線
こうした困難は、当然ながら当事者の方自身の心に大きな負担をかけます。「自分はなんてダメな人間なんだろう」「どうしてこんな簡単なこともできないのだろう」と、自己肯定感が大きく損なわれると言います。やろうと思ってもできない自分を責め続け、無力感に苛まれる日々。それが、さらに次の行動へのハードルを上げてしまうという悪循環に陥ることも少なくありません。
また、周囲からの理解を得ることも難しい現実があります。外見からは分かりにくいため、「やる気がない」「だらしない」「努力が足りない」といった誤解を受けやすいのです。「真面目にやろうとしているのに、そう見てもらえないのは本当に辛いです。弁解しようとしても、うまく説明できません。結局、誤解されたまま孤立してしまうことが多いように感じます」
友人や家族に相談しても、「頑張ればできる」「気にしすぎだ」といった励ましやアドバイスで終わってしまうことも少なくありません。もちろん善意からくる言葉であることは理解しつつも、根本的な困難が伝わらないもどかしさや孤独を感じるとのことです。
困難と共に生きるための模索
こうした困難を抱えながらも、当事者の方々は日々、様々な工夫を試みていらっしゃいます。例えば、タスクを最小単位に分解する、視覚的なリストを作成する、タイマーを使って集中時間を区切る、信頼できる人にサポートを頼むなど、自分なりのやり方で「一歩」を踏み出すための道を探っています。
「完璧を目指さないようにしています。100点満点じゃなくて、1点でもいいから始める。そう自分に言い聞かせています。失敗しても大丈夫だと、自分を許せるようになりたいです」
また、同じような困難を抱える人たちの存在を知ることで、孤独感が和らぎ、自分だけではないのだという安心感を得られることもあると言います。自身の困難を言葉にすることで、内面の整理につながり、また周囲への理解を求めるきっかけにもなるかもしれません。
静かなる一歩の先に
決断や行動の開始に困難を抱えることは、その人の能力や意欲の問題ではなく、認知の特性や脳機能の偏りなど、様々な要因が関係している可能性があります。外からは見えにくいこの困難は、当事者の方にとって、社会生活を送る上で常に存在する「見えない壁」となっています。
しかし、その壁の存在を認め、理解しようと努めることから、共生への道は始まります。当事者の方々が、自分を責めることなく、安心して「一歩」を踏み出せるような社会になること。そのためには、私たち一人ひとりが、見えにくい困難にも想像力を働かせ、多様な「あり方」を認め合う姿勢が大切なのではないでしょうか。
当事者の方々の静かなる声に耳を澄ませ、共に、より生きやすい社会を創り上げていくことができればと願っています。