自分だけの時間軸と社会の基準:見えないズレに悩む日々
「静かなる叫び」では、社会の片隅にある様々な声に耳を傾けています。今回は、自分だけが感じる時間の流れと社会で共有されている時間の基準との間に、見えない「ズレ」を感じながら生きている方の声をお届けします。このズレが、日々の生活や人間関係、自己肯定感にどのような影響を与えているのでしょうか。お話を伺ったのは、都内で会社員として働く、仮名・田中さん(30代)です。
時計が苦手、時間通りにいかない日常
田中さんは、幼い頃から「時間通りに行動する」ことに困難を感じていたと言います。待ち合わせに遅れる、締め切りを守れない、やるべきことになかなか着手できない。周囲からは「だらしない」「やる気がない」と見られることが多かったそうです。
「自分では急いでいるつもりなんです。でも、気づくと時間が経っていて、間に合わない。朝起きる時間も、家を出る時間も、どうしてもギリギリになってしまいます。駅に着いてから発車まで時間があると思っても、ふと気づくと電車が出た後だったり、逆にもう時間がないと思って駆け込んでも、まだ余裕があったり。時間というものが、自分の中でうまく掴めない感覚なんです。」
この「掴めない感覚」は、日々の小さな積み重ねとなって、田中さんを苦しめてきました。学校での課題の提出遅れ、友人からの誘いを断られることの増加、そして社会人になってからは、仕事上のミスや評価への影響。常に時間に追われているような焦燥感と、それでも間に合わない自分への失望感が、田中さんの心に重くのしかかっていたと言います。
計画を立てても、見えない壁に阻まれる
時間の感覚だけでなく、計画を立ててそれを実行することも、田中さんにとっては大きな壁となります。
「例えば、週末にこれをやって、次にこれをして…と頭の中では完璧な計画ができるんです。でも、実際に取りかかろうとすると、なぜか体が動かない。あるいは、一つのことに集中しすぎて、他のタスクを忘れてしまったり。気がつくと、計画していたことはほとんどできておらず、自己嫌悪に陥ってしまいます。」
この計画と実行の間の見えない壁は、未来への展望を曇らせることもあります。長期的な目標を立てても、そこに至るまでの道のりを具体的に想像し、一歩ずつ進んでいくことが難しい。「このままで大丈夫だろうか」という漠然とした不安が常にあり、将来について考えることが億劫になってしまうこともあるそうです。
「周りの人たちは、ごく自然に先のことを考えて、段取りよく進めているように見えます。どうして自分にはそれができないのだろうかと、劣等感を感じることも少なくありません。努力が足りない、意志が弱い、怠けているだけなのではないか…そういった言葉を、自分自身に投げかけてしまうんです。」
理解されない苦しみと、求めていること
このような困難は、周囲になかなか理解されません。時間通りに来ない、約束を忘れるといった行動は、悪意や無責任さと捉えられがちです。
「一番辛いのは、『やればできるはずだ』とか『もっと頑張れ』と言われることです。自分なりに努力しているのに、結果が伴わない。目に見えない、自分自身もうまく説明できない『ズレ』が原因なのに、それが怠慢だと決めつけられるのは、本当に苦しいです。まるで、自分という人間を否定されているような気持ちになります。」
田中さんが社会に、そして周囲の人々に求めているのは、特別な配慮ではなく、まずは「そういう感覚を持つ人もいるのだ」という理解だと言います。
「時間がうまく管理できない、計画通りに進めないというのは、単にルーズなのではなく、脳の機能の特性から来る場合もあるということを、もっと多くの人に知ってほしいです。病気や障害として診断されるケースもあれば、そうではない、グラデーションのような特性として現れる人もいます。原因が何であれ、その人が直面している困難は同じです。責めたり、アドバイスしたりする前に、『困っているんだね』と寄り添ってもらえるだけで、気持ちはだいぶ楽になります。」
自分自身との向き合い方、そして未来へ
現在、田中さんは自身の特性と向き合いながら、少しずつ生活を工夫しています。スマートフォンのアラームを多用したり、タスクを細かく分解してリスト化したり、信頼できる人に協力を求めたり。完璧を目指すのではなく、「まあ、仕方ない」と自分を許すことも大切だと考えるようになりました。
「時間は人によって感じ方が違う、というのは、ある意味で当たり前のことなのかもしれません。ただ、社会の仕組みが、特定の時間感覚を持つ人にとって生きづらいものになっている。その中で、自分を責めすぎず、できることから工夫していくしかないと思っています。」
未来への展望については、まだ明確な答えは見つかっていませんが、田中さんは希望も語ってくれました。
「同じように時間や計画の管理に悩んでいる人が、きっとたくさんいると思います。自分だけではない、と思えるだけで心強い。いつか、時間や効率性だけが価値基準ではない、多様なペースや働き方が認められる社会になることを願っています。そして、私自身のこの特性も、何か別の形で強みになる日が来るかもしれないと、少しだけ期待しているんです。」
田中さんの言葉からは、見えない困難を抱えながらも、自分自身と向き合い、より良い未来を模索する誠実な姿勢が伝わってきました。時間という普遍的な概念が、個々の内側では多様な形で捉えられていること、そしてその多様性が社会の基準と衝突する時に生まれる苦悩。「静かなる叫び」は、これからもこのような声に耳を傾けていきます。