見たものが「意味」にならない世界:視覚的な情報処理の困難と向き合う声
「静かなる叫び」では、社会の片隅にある様々な「声」に耳を傾けています。今回は、視覚的な情報処理に困難を抱えるAさん(30代・仮名)にお話を伺いました。目に映るものをそのまま認識することはできても、それが持つ意味や、他の情報との関連性を捉えることに難しさを感じていらっしゃるというAさん。日々の暮らしの中で直面する具体的な困難や、そこから生まれる感情について、静かに、そして力強く語ってくださいました。
「見て」いるはずなのに、「分から」ないこと
Aさんがご自身の特性に気づき始めたのは、幼い頃だったといいます。
「たとえば、絵本を見ていても、登場人物の表情からその気持ちを読み取るのがすごく難しかったんです。笑っている絵でも、なぜ笑っているのか、悲しんでいる絵でも、どうして悲しいのか、周りの状況と合わせて理解することができませんでした。文字は読めるのに、絵や図から物語や状況を読み解くのが苦手で、それがずっと不思議でした」
成長するにつれて、この困難は日常生活の様々な場面で顔を出すようになりました。
「人との会話で、相手の表情やジェスチャーから感情や意図を読み取るのが難しいんです。言葉だけを頼りにするのですが、声のトーンや話し方と表情が一致しないと感じると、混乱してしまいます。冗談を言われているのか本気なのか分からなかったり、相手が困っているのに気づけなかったりして、悪気はないのに人を傷つけてしまったり、逆に自分が誤解されてしまったりすることがよくありました」
また、視覚的な情報が複雑に入り組んだ場所では、特に強い戸惑いを感じるそうです。
「駅や商業施設のように、多くの情報(看板、人の流れ、建物の構造など)が同時に目に入ってくると、どこを見て、何を判断すればいいのかが分からなくなります。自分が今どこにいるのか、どこへ向かえばいいのか、周りの人がどう動いているのか。そういった視覚的な情報から状況を把握し、次の行動を判断するのが、まるで霧の中にいるような感覚になります。目的地にたどり着くまでに、人に何度も尋ねたり、ひどく疲れてしまったりします」
見えない困難ゆえの孤独
外見からは分からない特性であるため、周囲に理解してもらうことの難しさも感じているといいます。
「『普通に見えているのに、どうしてそんな簡単なことができないの?』というような視線や言葉に触れるたび、自分がダメな人間なのだと感じてしまいます。説明しようとしても、この『見たものが意味にならない』という感覚をどう伝えたらいいのか、言葉にするのがとても難しいんです」
この理解されない経験が、Aさんを孤独に追い込むこともあったそうです。
「学生時代も社会に出てからも、周りの人たちが当たり前のようにできていることが自分には難しくて、その理由をうまく伝えられないことから、孤立を感じることが多々ありました。頑張ればできるだろうとか、集中力が足りないからだとか、性格の問題だと思われたりして。自分自身でも、この困難が何なのか分からず、どうしたらいいのか途方に暮れていました」
しかし、ご自身の特性について学び、同じような困難を抱える方々の経験談に触れる中で、Aさんの心境には変化が訪れました。
「これは私の努力不足なのではなく、脳の情報処理の仕方の特性なんだと知ることができました。それだけで、自分を責める気持ちが少し和らいだように思います。同じように視覚的な情報処理に困難を抱えている方が、日常生活でどんな工夫をされているのかを知ることは、私にとって大きなヒントになりますし、何より『一人ではないんだ』と感じられることが、とても心強いです」
理解への願いと、自分らしい歩み
最後に、Aさんに社会への願いを伺いました。
「この特性は、外見からは全く分かりません。だからこそ、『なんで?』と思われることが多いのだと思います。でも、見え方や感じ方、脳の情報処理の仕方は、人それぞれ違うということを知ってもらえたら嬉しいです。少しの工夫や配慮があれば、困難が軽減されることもたくさんあります。例えば、文字だけでなく図解も多めにするとか、口頭での説明を補足するとか、急な変更を避けるとか、そういったことです」
Aさんは、自身の困難と向き合いながら、自分らしいペースで社会と関わる道を探しています。
「完璧に周りに合わせることは難しいと感じています。でも、自分の得意なことや、工夫すればできることを活かせる場所はきっとあると信じています。私自身の経験を話すことで、同じような困難を抱える方が『自分だけじゃないんだ』と感じてくださったり、周囲の方が少しでも理解を深めるきっかけになったりするなら、とても嬉しいです」
Aさんの静かながらも誠実な言葉は、視覚的な情報処理の困難という、見えにくい場所にある「叫び」に光を当ててくれます。このインタビューが、読者の皆様にとって、共感や理解、そして新たな一歩を踏み出すための希望につながることを願っています。