香りの洪水の中で:嗅覚過敏と日々の闘い
「静かなる叫び」では、社会の片隅で、時に理解されにくい困難と向き合いながら生きる方々の声に耳を傾けています。今回お話を伺ったのは、嗅覚過敏という特性を持つAさんです。私たちは皆、日常の中で様々な匂いに囲まれて生きていますが、その匂いが時に心身に大きな負担となる方がいらっしゃいます。Aさんは、どのような「香りの洪水」の中で、どのように日々を過ごされているのでしょうか。
匂いが引き起こす身体的な反応
嗅覚過敏について、Aさんはこのように語り始められました。「私の場合、特定の匂いを嗅ぐと、まず吐き気がします。ひどい時は、実際に嘔吐してしまうこともあります。頭痛や目眩がすることもあり、時には呼吸が浅くなるような息苦しさを感じます。」
一般的に心地よいとされる香りや、ほとんど気にならないような微かな匂いに対しても、Aさんの体は過剰に反応してしまうそうです。特に反応しやすい匂いとして、洗剤や柔軟剤の香り、人工的な香料を含む化粧品や香水、特定の食べ物の匂い(魚介類や香辛料など)、たばこの煙などを挙げられました。
日常生活における具体的な困難
嗅覚過敏は、単に「匂いが苦手」というレベルではなく、日常生活に具体的な困難をもたらします。Aさんはその一端を話してくださいました。
「スーパーでの買い物は、常に戦いです。洗剤コーナーや柔軟剤の近くを通るのが特に辛く、息を止めて駆け足で通り過ぎることもあります。食品売り場でも、匂いが混ざり合って気持ちが悪くなることがあります。」
外出そのものにも壁があります。公共交通機関を利用する際、様々な人が持ち寄る匂いや、車内の芳香剤に苦しむことがあります。また、飲食店を選ぶ際には、メニューだけでなく店内の匂いも考慮しなければならず、選択肢が狭まってしまいます。
「友人との外食も、以前は楽しめていたのですが、最近は誘われても断ることが増えました。迷惑をかけてしまうかもしれないという不安や、体調が悪くなることへの恐れがあるからです。」
周囲への配慮や理解を求めることにも難しさを感じていると言います。「『ちょっと匂いがきついので離れてもいいですか』とお願いするのは、相手を傷つけてしまうのではないかと躊躇してしまいます。見た目では分からない困難なので、ただの好き嫌いやワガママだと思われてしまうのではないかという不安も常にあります。」
見えない壁と心の負担
このように、物理的な匂いだけでなく、それによって生じる精神的な負担も大きいようです。常に周囲の匂いに注意を払い、危険を回避しようと緊張しているため、ひどく疲弊します。また、人との交流を避けるようになることで、孤独感を感じることも少なくありません。
「誰も悪気があって匂いをさせているわけではないと分かっています。だからこそ、自分が我慢するか、理解されないかもしれないリスクを負って伝えるか、という選択を迫られる度に心が擦り減るように感じます。自分だけがこの世界で息苦しさを感じているのではないか、という孤独感も抱えています。」
未来への展望と希望
このような困難の中で、Aさんは小さな希望も見出しています。少しずつですが、嗅覚過敏について知られる機会が増えてきたこと、そして同じような特性を持つ方々の声を聞くことで、自分だけではないと感じられるようになったことです。
「完全に匂いのない世界で生きることは不可能ですが、少しでも社会全体で『匂いへの配慮』という視点が広がってくれたらと願っています。例えば、公共の場での強い香りの自粛や、無香料製品の選択肢が増えることなどです。」
そして、同じように見えない困難と闘っている方々へ向けて、静かにメッセージを送られました。
「一人で抱え込まず、もし話せる人がいるなら、少しでも言葉にしてみてください。そして、自分自身の感覚を信じて、無理のない範囲で、少しでも心穏やかに過ごせる場所や方法を探してください。私たちは一人ではありません。」
Aさんの言葉は、嗅覚過敏という見えにくい困難が、いかに日々の生活や心を圧迫するものであるかを教えてくれます。同時に、そのような状況でも、理解や共生への希望を失わずに生きる強さをも示してくれました。「静かなる叫び」は、これからも様々な当事者の声に耳を傾け、社会の共感と理解を深める一助となることを目指してまいります。