肌に触れるものが引き起こす困難：触覚過敏と日々の戸惑い
私たちは、様々な感覚を通して世界を捉えています。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、そして触覚。これらの感覚は通常、意識することなく私たちの日常を支えていますが、中には特定の感覚に対して、周囲とは異なる受け止め方をする方がいらっしゃいます。今回は、「触覚過敏」という感覚特性を持つAさんにお話を伺いました。肌に触れるものが引き起こす予期せぬ不快感や困難は、どのような日常を生み出すのでしょうか。静かに、その声に耳を傾けます。
「普通」の服が着られない、という始まり
私が自分の触覚が他の人と違うかもしれない、と感じ始めたのは、本当に幼い頃のことだったと思います。特に記憶に残っているのは、服に対する強い違和感です。当時、母が買ってきてくれる既製服の素材や、首の後ろにあるタグなどが、どうしても肌に耐えられなかったのです。チクチクする、ゾワゾワするといった言葉では表現しきれない、例えるならやすりで擦られているような不快感がありました。
特に困ったのは、学校の制服です。定められた素材やデザインの服を着なければならないのに、その全てが私にとっては苦痛でした。肌に触れる部分すべてが不快で、授業中もそのことばかり気になってしまう。集中できないだけでなく、まるで肌がずっと叫んでいるような感覚に、常に苛まれていました。
もちろん、最初は誰もその感覚を理解してくれませんでした。「服なんてどれも同じでしょう」「我慢しなさい」と言われることがほとんどで、自分がおかしいのではないか、と深く悩みました。家族や友人にも説明しづらく、「わがまま」だと思われているのではないか、という孤独感を強く感じていました。
日常生活に潜む「触れる」ハードル
服だけではありませんでした。日常生活には、触覚過敏にとっての様々なハードルが潜んでいます。例えば、特定の手触りのものに触れること。紙の端、タオルの質感、特定のプラスチック製品など、想像するだけで鳥肌が立ってしまうものがあります。料理をする際も、特定の食材（例えば、生の肉や魚、ぬるぬるした野菜など）に触れることが非常に苦痛で、食事の準備が大きな負担になることもあります。
また、人から触れられることへの抵抗感も強いです。挨拶で肩を叩かれたり、満員電車で体に人が触れたりすると、反射的に避けてしまったり、動悸が激しくなったりすることがあります。もちろん、悪意があるわけではないと頭では理解しているのですが、体が勝手に拒否反応を示してしまうのです。これも、相手に不快感を与えてしまうのではないかという不安や、自分自身の反応をコントロールできないことへの無力感につながっています。
これらの感覚は、特定の条件下で特に強くなるように感じます。疲れている時や、ストレスを感じている時は、普段はなんとか耐えられるような小さな刺激でも、耐えがたい不快感になることがあります。自分の体や感覚が、自分で思い通りにならない、という感覚は、日々私を戸惑わせ、時には自信を失わせます。
理解されないことの辛さと、小さな工夫
触覚過敏という言葉を知るまで、私は自分がなぜこんなにも生きづらいのか、全く分かりませんでした。「気にしすぎ」「考えすぎ」と周りから言われ続ける中で、自分の感覚がおかしいのだ、と自分を責め続けていました。
しかし、触覚過敏という概念を知り、同じような感覚に悩む人がいることを知った時、心の底から安堵しました。自分だけの悩みではなかったのだ、と。それは、孤独な戦いに終わりを告げる小さな希望の光のように感じられました。
それからは、自分なりに工夫をしながら生活しています。服は素材や縫い目に徹底的にこだわり、着られるものだけを選んで着るようにしました。タグは必ず切り取ります。外出する際は、肌の露出を抑えたり、人との距離を意識したりと、できるだけ不快な接触を避けるように努めています。料理は手袋を使ったり、家族に手伝ってもらったりと、可能な範囲で回避策を取っています。
これらの工夫は、社会生活を送る上で必要な妥協点でもあります。全ての刺激を避けることは不可能ですが、自分でコントロールできる範囲を広げることで、少しずつ心の負担を減らしていく努力をしています。
社会への願い、そして希望
触覚過敏は、外見からは全く分かりません。だからこそ、周囲からは理解されにくく、「見えないわがまま」として捉えられてしまうことが多いように感じます。しかし、これは本人の意思や努力でどうにかなる問題ではありません。皮膚という最も大きな感覚器を通して感じる不快感は、想像以上に強い苦痛を伴うものです。
社会に願うのは、まず「そういう感覚がある人もいる」という認識が広まることです。そして、本人が「こういった感覚に困難を感じる」と伝えた時に、頭ごなしに否定したり、「気にしすぎ」と片付けたりせず、少しだけ耳を傾けていただけるような、理解と配慮の姿勢が生まれることです。特別なことではなく、ほんの少しの理解と想像力があれば、私たちの日常はもっと楽になる可能性があります。
私と同じように、見えない感覚の困難に一人で悩んでいる方がいらっしゃるかもしれません。どうか、自分を責めないでください。あなたの感じている困難は、決して「わがまま」や「気のせい」ではありません。あなたと同じように感じている人は、確かに存在します。
この声が、誰かの孤独に寄り添い、少しでも希望の光となりますことを願っています。社会全体で、様々な感覚を持つ人々が、それぞれの違いを認め合い、共に生きやすい世界を築いていくことができると信じています。